2020年11月15日

神からの賜物  マタイによる福音書25:14-15、19-29  2020.11.15

神からの賜物   マタイによる福音書25:14-15、19-29  A年特定28  2020.11.15


今の日本でタレントとして知られる人とは、「特にバラエティ番組のパネリストとしてテレビ番組などマスメディアに出演する有名人」のことです。この「タレント」という言葉は、元々特別な能力、才能を意味する言葉であり、その語源をたずねれば今日の福音書に出てくる「タラントン」というお金の単位にさかのぼります。今の日本を振り返ってみると、高額所得者がタレントであるかのような、そしてそれを持つことで人間の価値まで決まるかのような感が強く、タレント(才能)が本当に才能ある人として評価されているのかを疑いたくなるような状況にあるように思えてきます。
 私たちは、今日の聖書日課福音書から、自分の内なる財産である色々な才能(タレント)についても、また外なる財産である金銭や証券また不動産についても、それらは主なる神から与えられまた託されているものであることを教えられます。そして、私たちは、今日の聖書日課福音書から、タレントが神の御心に沿って用いられ生かされることの必要性と大切さを学びます。 
 神は、私たち人間がこの世界で神に御心を実現し、顕現するようにそのタレントを用いることを願っておられるのではないでしょうか。タレント(つまりそれぞれのひとが持つ賜物である才能や技量)は、神が一人ひとりの人に与えてくださった固有の財産であり、各自がその賜物を用いて、神の御心がこの世界に実現するように祈りつつ努める時に、そのタレントは大きな意味を持つ働きとなります。
 各自が与えられた技量、才能を精一杯神の国の実現他のために用いる働きをする人のことを、今日の福音書は「忠実な良い僕だ、よくやった。おまえは少しのもに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と表現しているように,私には思えます。
 ある主人が自分の財産を僕たちに預けて旅に出ました。僕はその力に応じて、ある者は5タラントン、ある者は2タラントン、ある者は1タラントン預けられました。かなりの日数が経って主人が戻ってきました。主人は僕たちを集めて「さあ、私が預けたタラントンをあなた方はどのように用いたのか、見せて貰おう。清算をしよう。」と言いました。
 5タラントンを預かった僕は、その5タラントンを元手に5タラントンを儲けて主人の前に10タラントンを差し出しました。2タラントン預かった僕も、その2タラントンを元手に2タラントンを儲けて4タラントンを差し出しました。主人はこの僕たちに「忠実な良い僕だ。お前は少しのものに忠実であったから多くのものを管理させよう。私と一緒に喜んでくれ。」と言いました。
 ところが、1タラントン預かっていた僕は「ご主人様、あなたは厳しい人ですから、私は預かったタラントンをそのまま土の中に埋めて隠しておきました。これがそのお金です。そっくりそのままお返しします。」と言って1タラントンをそのまま主人に差し出しました。すると、主人は、「お前は怠け者の悪い僕だ。それならその1タラントンを取り上げて10タラントン持っている者に与えよう。」と言ったのでした。この箇所では、主人が長い旅に出かける時に、自分の僕たちにそれぞれの力に応じてタラントンを預けたという設定になっています。1タラントンは当時の六千日分の労賃であり、おおざっぱに計算して1タラントンは約20年分の労賃と言うことになります。今日の福音書の中で、これほど多額なタラントンを与えられている僕についても主人は「おまえは少しのものに忠実であったから・・・」と言います。それは、一人ひとりが神から託されている賜物がいかに尊く重大であるかを示しているとも言えるでしょう。
 私は、この譬えのタラントンを金銭で考えるのではなく、畑に蒔くべき麦の種に置き換えて考えてみると、主イエスが教えておられることがよく理解できるように思います。
 畑の主人は、旅に出る前にそれぞれにとても多い分量の麦の種を渡し、収穫を得るように言いつけたのでした。主人が帰って来た時にその成果を報告させました。多くの人が何倍もの収穫を得ている中、ある人はその種をただそのまま眠らせていた、と譬えてみると、ここで主イエスのお話になっていることの意味がよく分かるように思うのです。
 私たちは、神さまから与えられるタラントンは、例え生まれつき備えられているとしても、可能性の種のように与えられています。多くの場合、そのタラントンは、お金のようにそのまま保管できるものではなく、育み、磨きをかけていく可能性として与えられているのではないでしょうか。そのタラントンがどのように生かされるかによって、神の国の働きに役立つことにもなれば、ただ自分勝手な欲望を満たす道具にもなってしまうことにもなるように思えます。そう考えてみると、今日のタラントンの例えは、ただ神から任された自分の才能をこの世的な出世や資産を増やすために用いることを勧める例え話ではなく、神からそれぞれに与えられた自分の人生の恵みを感謝し、その恵みを神にお捧げすることによって天の国の姿を示すことを教えた物語であると言えます。
 この恵みは、例えばパウロによれば、人の長所として捕らえられることを通してだけではなく、弱さや醜さと思えることを通してさえ働きます。パウロはコリントの信徒への手紙U第12章で次のように言っています。
 パウロは、自分で自分のことを誇らないように、神は「わたしの身に一つのとげをお与えになった、自分はそのとげを離れさせてくださるように三度頼んだけれど、主は「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮させるのだ」とパウロに言われたのでした。だから、キリストの力が自分の内に宿るように、むしろ自分の弱さを大いに喜んで誇ろうではないかと言っています。
 神の御業とその恵みは、時には、人の目から見て不都合と思われることをとおしてさえ、豊かに働きます。そして、人の目には一見不利に見えたり不都合に思われることさえ、神はその人のタラントンとして備えてくださっているのです。
 最近、久しぶりに『ヘレン・ケラーはどう教育されたか』という題のサリバン女史のレポートなどを集めた本を読み返してみました。その中で、サリバン女史が、ヘレン・ケラーの感覚の鋭さについて記している箇所が印象的でした。サリバン女史は、ヘレン・ケラーの目が見えず耳が聞こえないが故にその場の気配や人の表情や感情を察知する力が研ぎ澄まされ、その力の極めて鋭敏であり正確であることを指摘しています。ヘレン・ケラーの潜在的なタラントンが、目が見えず耳が聞こえないが故に、顕現していると言えるのではないかと、私には思えます。
 私たちは、神からどんなタレントをどれほど与えられているでしょうか。それを無駄にしないようにするためには、不必要に尻込みすることなく、謙遜を隠れ蓑にして出来ることから逃げ出すことなく、神の御心が現れ出るように励み、また支え合い、愛し合っていくことが求められます。そして、そこに「天の国」の姿が現れ出てくることを、主イエスは今日の聖書日課福音書を通して教えておられるように思えてきます。
 時に私たちは自分で気づかぬ間にも神の恵みはずっと働いていてくださったことに気づかされることもあります。神が私たちに託されているタラントンは実に多種多様であり、その可能性や力量について自分から制限したり小さくしてしまうことのないように、絶えず感謝をもって用いる者でありたいと思うのです。私たち一人ひとりが神の前に輝き、与えられているタラントンが神の平和をつくりだす働きへと用いられ生かされるように祈り求め、派遣されていきましょう。
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2020年11月10日

帯状疱疹体験記

帯状疱疹体験記

 「帯状疱疹」を経験しました。「帯状疱疹」は、水疱瘡を引き起こした菌が長い間神経節に潜伏し、ある程度の年齢になると、疲労やストレスなどのために体の抵抗力が落ちたときに神経に沿って体の表面に発疹となって表れ、そこに痛みを伴う病気です。
 この病を経験した多くの方が「痛くて大変だった。」と言っておられますが、このたび、私も「ああ、その痛みとはこういうことだったのか!」と追体験したわけです。
 そして、この病の対処は、どんな病気にも当てはまることかもしれませんが、初期の症状にできるだけ早く気づいて治療することであるということを痛感しました。
 私が「帯状疱疹」になったことを話題にすると、「始めはやっぱりチリチリしましたか?」とご自身の経験を確認するかのように話してくださる方もおられました。
 繰り返しになりますが、「帯状疱疹」は早めの対処により予後も随分違ってくるように思います。そのことを、多くの人にお知らせし、痛く辛い思いをする人が一人でも少なくなるように、この拙文をしたためました。以下、私の「帯状疱疹体験記」です。

10月4日(日)
 午後、寛いでいると、おへその右脇の少し奥の辺りが時々チリチリとするのを感じるようになりました。それほど頻繁にチリチリするわけではなく、それは痛みという程でもなく、1時間に1回か2回程度からは始まったように思います。それがしばらく続くので、次第に「何だろう、これは?」と思い始めたのですが、この時にこれが帯状疱疹の初期症状であることを知っていればもっと早く医者に行く判断ができただろうと思うのです。

10月5日(月)
 通常の勤務をしていましたが、時々「チリチリ」を感じ、それが頻繁になってきました。でも、痛みがあるわけではないので、「そのうち治まるかもしれない」と思い、特に対処することは考えていませんでした。

10月6日(火)
 夕方、へその右脇にダニに噛まれたような赤い発疹が一つできました。そこに強い痒みがあり、私はダニに噛まれたのだと思い込んでいました。「チリチリ」する感じは引き続きその発疹の奥の方で発生していました。

10月7日(水)
 この日も、時々へその右脇の痒みを感じながら一日を過ごし、夜になって発疹の箇所を見てみると、発疹は3つほどに増えています。私は、「確かにダニがいる。」と思い込み、その対処を考えていました。

10月8日(木)
 「チリチリ」感は少し痛みを増してきました。表面はかゆいのですが、その発疹の少し奥がただチリチリするだけではなく、やや痛みを伴うように感じられます。「これはダニが原因ではないのではないか。」と思い、インターネットで「脇腹の痛み、チリチリ」などと入力して検索してみました。虫垂炎や尿路結石をはじめ幾つかの可能性が考えられましたが、いずれにしても翌日内科医を受診してみることにしました。夜になって発疹の部分を見てみると、発疹が最初にできた部分に細かな発疹が増え、更に右の脇腹の方に新しい発疹が2つ、3つ増えてそこには痒みもあります。再度インターネットでこの症状を入力して検索してみると、これはどうやら「帯状疱疹」の可能性が高いと考えられました。「早く医者に診てもらわねば・・・」と思いましたが、既に夜。明日の午前中は予定がいっぱい。少し焦る気持ちで一夜を過ごしました。

10月9日(金)
 発疹の内部あたりに感じられる「チリチリ」は、「チクチク」に変わり痛みが出てきました。午後3時過ぎ、やっと近所の「内科・皮膚科医院」に行くことができました。受付の「どうなさいましたか?」の問いに、「帯状疱疹ではないかと思うのですが・・・。」と答えて、問診票に必要事項を記入して待合室に座りました。名前を呼ばれて診療室に入ると、医師は私の主訴を聞くと直ぐに「そこを見せてください」と言い、衣服を捲り上げた私の腹を診るなり、「ああ、帯状疱疹ですね。この辺にも出てきていますね。」と右脇腹の背中側にも更に3箇所ばかり増え始めた発疹を指摘してから、小冊子『帯状疱疹の治療を受けられる方へ「帯状疱疹といわれたら・・・」第5版』を開いて、私の症状とその治療方針を簡単に説明してくださいました。そして「お家でこれをよく読んでください。」ということで診療は終わりました。診療時間は、私の感覚で1分、実際には5分程度であったかと思います。
 1週間分の抗生物質(ヘルペスウイルス感染症治療薬)と塗り薬(非ステロイド性抗炎症薬)を処方していただき、「一週間後にまた来てください。」ということで、帰宅しました。
 薬が効き始めるには服用開始から2、3日程度かかるとのことで、帰宅後すぐに第1回目を服薬しました。

10月10日(土)
 発疹箇所の幾つかはその表面がただれており、薬を塗って滅菌ガーゼを当てて絆創膏で止めました。発疹のある箇所の内側から時々ヒリヒリとした痛みが湧き上がってきます。その他にも時々体内の時限爆弾が破裂したかのような痛みが起こります。医者からもらった冊子には、帯状疱疹はストレスや疲労の蓄積によって体の抵抗力が落ちているときに発症しやすいと記されており、「せめて、今からでも」と思い、この日はできるだけ安静に過ごすように心がけました。

10月11日(日)
 ズボンのベルト部分が腹に当たると、体に痛みが走ります。体を動かすとそれに合わせて神経に痛みが走ります。じっとしていても、腹の中に痛みのもとになる地雷があって、その地雷が時々爆発しているような感じで体内に痛みが走ります。安静が一番の特効薬だと思って、午後は寝て過ごし、90分ほど眠りました。医師から指示されたとおりに忘れずに服用して、「早く時間が経たないかな。そろそろ薬が効き始めるぞ、もう少しの我慢だ。」と自分に言い聞かせました。塗布薬も朝晩忘れずに患部に塗りました。

10月12日(月)
 患部の痛みを感じながら一日を過ごしました。じっとしていても腹や胸からズンと痛みが起こります。体を動かすとそれに合わせて衣服と肌がこすれるような感覚で神経が痛みます。「薬が効いているからもうすぐ快方に向かうから、大丈夫!」と自分を励ましました。

10月16日(金)
 薬を忘れることなく服用、塗布を続けて1週間が過ぎ、発疹の表面のただれは少し治まってきたように見えます。診療に行くと、医者は患部を診るなり、「ああ、良くなってきていますね。痛いですか?」。私は「はい、体の中に痛みの地雷があって、時々爆発しているみたいで・・・。」と答えました。鎮痛剤2種類と胃薬を2週間分処方されました。1週間飲んできた抗生物質はもう必要ないとのこと。基本的にはもうこれで治療は済んだことなのかと、少々心許ない思いにもなりましたが、何か良くない変化があれば直ぐにここに来れば良いからという思いで医院を出ました。

10月22日(木)
 医師の指示通りに2種類の鎮痛剤を飲み続けています。鎮痛剤が効いている時は大分楽に過ごせるようになってきました。夜中に痛みで目を覚ますことも次第に少なくなってきています。薬効が切れてくる時間には腹の中にズンと痛みが走ったり、体を動かすと、神経を刺激するからでしょうか、胸から腹にかけて痛みを感じます。体を揺さぶらないようにそろりそろりと歩きました。医者の見立て通り、病は峠を越え、痛みは日に日に軽くなってきているようです。シャワーを浴びた後に、発疹の表面の皮がかさぶたが取れるように剥がれ、治ってきていることを実感しました。

10月29日(木)
 医者から、痛みが和らいだら薬を止めても良いと言われていましたので、昼の服用をスキップしました。夕方近くなると、腹の中に時々ズン痛みを感じました。睡眠中に痛みで目が覚めることのないように夕食後には服薬しました。

10月30日(金)
 初診後3週間です。今日は朝、昼ともに服薬せずに、午後3時頃、受診に向かいました。患部を診た医者は、「もう大丈夫ですね。痛みがあれば鎮痛剤を出しますが、どうですか?」とのことで、私は「無しでも大丈夫だと思います。」と応え、一応治療は終了しました。

10月31日(土)
 胃薬も止めたせいでしょうか。胃が少しむかついて腰がだるい一日を過ごしました。そのだるさや胃のむかつきが今回の服薬とその終了が影響しているのかどうかは確かではありません。
 
11月3日(火)
 その後も3日程度は睡眠時間を十分にとることを心がけました。

11月6日(金)
 気がつけば、ほぼ一日中、痛みも気分の悪さも忘れて過ごしていました。へその右脇から帯状疱疹の発疹の後が残っていますが、これは当分消えないでしょう。

 私がこのような文章をしたためる気になったのは、「帯状疱疹」は、できるだけ早くそれに気付いて投薬治療を開始すれば軽い症状で済むこと、そして初期症状として体の中が「チリチリ」することから始まることを、未経験の人々にお知らせしたかったからです。
 私は、あと一日は早く医者に行けただろうし、そうすればもっと軽くて済んだだろうと反省していますが、他の方々の話では、比較的早く対処できたのかも知れないとも思っています。
 今回の罹患をきっかけに私の周辺の数人がこの病の経験者であることが分りました。そして私同様にまた私以上に、痛んで辛い経験した方もおられました。
 ある方は「最初の発疹が目に出て、眼科医がものもらいと誤診して、帯状疱疹としての治療開始が遅れて酷い目に遭いました。」と話してくださり、「私の友人は一週間入院しました。十分に休んでくださいね。」と言ってくださる方もありました。また、中には発疹が消えても長く神経痛が残る例もあるとか。医師は、「帯状疱疹」を罹患した人はその後に癌の発症率が上がるので、毎年の人間ドックを心がけるように助言してくださいました。また、子どもの頃に「水疱瘡」の予防接種をしておくと罹患しても軽くて済むように、「帯状疱疹」も予防接種をしておくと発症を抑えられるようです。私の妻はかつてその予防接種を受け、私にも勧めましたが、私はそれを嫌がり受けませんでした。受けていたら結果がどうであったかは分りませんが、少なくともこのような拙文を公開することはなかったでしょう。
 教訓:「体内にチリチリ来たら即受診」。健康に過ごせますように。
 (2020年11月10日)
 
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2020年11月03日

諸聖徒日を感謝して  マタイによる福音書5:1〜12    2020.11.01

諸聖徒日を感謝して マタイによる福音書5:1〜12    2020.11.01

 今年は、今日11月1日が主日と重なり、今日は教会の主要祝日である諸聖徒日として、ことに本教会関係逝去者を覚えて聖餐式を致しております。
 はじめに、「諸聖徒日」が教会暦の中に公に制定されるに至った歴史を振り返ってみましょう。
 教会が殉教者や信仰の偉人を覚えて聖餐式を行うことは、初代教会からの伝統でした。主イエスの直弟子たちやその後継者たちの、殉教の日や逝去の日を記念して、教会は聖餐式を行って参りました。キリスト者の群れである教会は、命と信仰の継承者を大切にして、その記念の日を覚え、年ごとに生きる者も逝去した者も主にあって一つであることを聖餐式の中で確認し感謝してきたと言えます。教会がそのように記念すべき逝去者は次第に数を増していき、5世紀半ばの文書史料には、「5000人の殉教者たちに割り当てることのできる日はもう一日も残っていない。」と記されるほどになっていました。
 キリスト教は紀元380年にローマの国教となりましたが、キリスト教はローマ帝国に占領されている人々の信じる宗教であり、4世紀初めの頃まで、幾度となく激しい迫害に見舞われてきました。
 キリスト教は、ローマ帝国に支配された被征服民族であるイスラエルの民の宗教であるユダヤ教の流れから生まれ、キリスト教はローマの側からもユダヤ教の側からも迫害を受ける時期がありました。主イエスの十字架と復活から実に300年近い時を経て、313年にローマ皇帝コンスタンティヌスは「ミラノの勅令」によってキリスト教を公認し、392年には皇帝テオドシウスがキリスト教を国教として逆に他の宗教を禁じるようになりました。
 それから2世紀以上経った紀元605年の頃、当時のローマ皇帝ポーカスはある建物を教会に献納したいと教皇ボニファティウスに申し出たのです。この建物は、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、パンテオンと呼ばれる建物で、日本語に訳せば「すべての神々」という名の建物です。
 この「パンテオン」は、キリスト教がローマの国教となる前は、文字通りギリシャ・ローマ世界のすべての神々がまつられる神殿であり、円形をしたこの建物の中心にはローマ皇帝の像が据えられ、その周りにローマが占領した異教の神々の像がこのローマ皇帝に服従するように配置されていたのです。この建物を寄進された教皇ボニファティウスは、異教の偶像をすべて取り払い、このパンテオンを聖マリアとすべての殉教者のために奉献して「聖マリアと諸殉教者聖堂」と名付けました。そして、この建物を祝別して、主の働きのために献げる式を5月に執り行うことを公布しました。しかし、こと時をローマで迎えようと余りに多くの人がローマに集まり、ローマはたちまち食料が不足してしまい、この祝祭は延期されました。そして、穀物や果物の収穫の済んだ11月1日に改めてパンテオン祝別の礼拝を行い、教皇ボニファティウスはこの日を「全世界の教会ですべての聖人のために厳かに祝う日」と定めたのでした。
 こうした流れから、教会は11月1日を「神に仕える人々のうちに現れたキリストのくすしき御業を告げ知らせる日」として、全ての聖人(Saint)を覚えて、その聖人たちをとおして現されたキリストの働きを感謝するようになったのです。私たちもまた、この日には信仰の先達のために祈り、私たちも諸聖徒の働きを覚えて、主の働きに用いられる器とされるように祈っております。
 さて、諸聖徒日の聖餐式聖書日課もそのような意図のもとに、福音書は、マタイによる福音書第5章の冒頭の箇所が選ばれています。この箇所は、マタイによる福音書第5章から7章の、いわゆる「山上の説教」の始めの部分であり、主イエスが「心の貧しい人々は幸いである」から始まる「8つの幸い」について教えておられる箇所です。
 主イエスは、ガリラヤの小高い山の上で、弟子たちと大勢の群衆を前に教えを宣べ始めます。先ず、第一声、主イエスは「心の貧しい人々は、幸いである」とお話しになりました。
 「心が貧しい」とはどういうことでしょうか。ある訳本ではこういう言葉が用いられています。
 「ただ神により頼む人々は幸いだ。天の国はその人たちのものだから。」
 つまり、自分の人間としての貧しさ、乏しさを知って、神に寄りすがる人々こそ幸いであると主イエスは言っておられるのです。
 例えば、心の貧しさを自覚しないのなら、そこに独りよがりや傲慢が生まれて来ます。端から見て、その人の罪が明らかなのにそれを自分で認められないとすれば、その独りよがりや傲慢さは、神さまの静かで小さな働きかけを拒んだりはね除けたりすることになるでしょう。それとは対照的に自分の人としての貧しさや乏しさを知ってそれを認める人は、そこに働いてくださる神の恵みをつかみ取り、感謝するでしょう。その時、心の貧しさや乏しさは、神の恵みが働く通路にさえ変えられていくことになるのです。
 また、私たちはこの世で、仮にどれほど有能であってもまた業績を上げようとも、一生の終わりに誰もが皆「心を貧しく」しなければならない時、言い換えれば「全く神により頼む」ことしかできない時が来るのです。その時、心の貧しさを知る者は、神に全幅の信頼を置いて自分の全てを神に委ねることができるでしょう。「心の貧しさ」は、その人を天の国とつなぐことになります。主イエスは、天の国はそのように自分の貧しさを知って神に依り頼む者のものだと教えてくださいました。
 今日は諸聖徒日です。この日に私たちは、私たちの先輩方がその生き方と死に方をとおして証ししてくれたことを覚え、感謝するのです。
 このような意味での「心の貧しさ」を受け入れて生きることは、私たちの諸先輩を見上げる時、決して人間として恥ずかしいことや惨めになるようなことではないことが分かります。むしろ、鎧で身を固めて本当の自分を隠し、「心の貧しさ」を開こうとしないところに偽物の世界をつくり出し、自分の中にも他の人との関係にも真実になれない問題の重大さに気付かなければならないでしょう。
 信仰の先人は、自分の貧しさを知り、自分の貧しさを主に委ね、主にすがって生きることによって、自分を通して主の栄光が現れ出ることを示してくださいました。そして、私たちも自分を主に委ねて生きる時に、貧しい私たちを通して神のお働きが表れて、私たちに天の国が約束されることを覚えたいのです。
 自分の貧しさを受け止めた一人の作家をご紹介しましょう。
 作家の椎名憐三がクリスチャンであったことはご存知の方も多いかと思います。この人は、若い頃に共産主義思想に傾倒していましたが、やがてキリスト教信仰をもって生涯を全うしました。彼は洗礼を受けた後、「私はもうこれで死の間際に思い切りジタバタすることができる。イエスがいてくださるのだから、どうであっても安心だ。」と言ったと伝えられています。
 私たちは、神との繋がりの中で生かされています。だから、慎ましく模範的に生きるように強いられるのではなく、自分の中にある恐れも怯えも恥ずかしさも悔いも、全てを知って受け容れてくださるお方の前で、ありのままの等身大の自分として、自分の貧しさを認めて素直に生きることが許されています。天の国はそのように生きる者に約束されているのです。
 そのように、私たちも心の貧しい自分がそのままそっくり神の前に差し出して委ねるとき、そこに天の国の姿が一つ現れでることを覚えたいと思います。
 主イエスは、そのような貧しさに生きる人こそしっかりと神とつながり神の祝福にあずかるのに相応しいと教えてくださり、また主イエスご自身も十字架の死に至るまで徹底して貧しく生きてくださいました。そのイエスを救い主として受け入れて導かれた聖人たちも、人の業としては誇ることなど何も無く、ただ自分を通してお働きになった神を誇り、自分は弱く貧しいからこそ主の御業が働く器として用いられ、その事をただ神に感謝するだけである、聖人とはそのような人々を言うのではないでしょうか。
 私たちも、ただ主に依り頼み、その貧しさを通して主の栄光のために用いられる喜びにあずからせていただけますように。
 諸聖徒日の特祷をもう一度祈りましょう。 
 全能の神よ、あなたは、主に選ばれた人びとを結び合わせ、御子イエス・キリストの体である公会に連ね、その交わりにあずからせてくださいました。どうか私たちに恵みを与え、祝福された聖徒たちにならって常に清く正しく生き、終わりの日に主を愛する者のために備えられた大きな喜びにあずからせてください。主イエス・キリストによってお願い致します。アーメン
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