2017年08月14日

リードオルガンのことなど  2017.08.06

リードオルガンのことなど
司祭 ヨハネ 小野寺 達
 現在、水戸聖ステパノ教会の聖堂にもう一台のリードオルガンが置かれています。このオルガンは一時預かりのもので、来年の3月には他の場所に引き取られる見通しです。
このオルガンは、アメリカのMason&Hamlin Company(メイソン&ハムリン社)製で、110年前に誕生した歴史あるものです。オルガンの一つ一つに記されている製造番号から製作年が確定または推定できるのです。
 なぜ、このオルガンがこの教会にあるのかについては他の機会にゆずり、ここではそのオルガン製作会社のことなどを記し、多くの方にリードオルガンへの関心をもって頂きたいと思います。
 鍵盤楽器の設計と製造の会社であるメイソン&ハムリン社は、1854年にマサチューセッツ州ボストンに設立されました。
 設立者のひとりヘンリー・メイソンは、ピアニストでもありました。彼の父親は清教徒の流れにある有名な作曲家また教育者のローウェル・メイソンです。この人は、アメリカの公立学校に音楽を初めて採り入れた人であり、また「アメリカの教会音楽の父」と呼ばれており、聖歌の作曲および出版に携わった人として世界中で知られています。日本聖公会の現行『聖歌集』にも以下の作品が含まれています(49よろこびの日よ、光の日よ(編曲),69諸人こぞりて(和声),395,493愛の業は楽しきかな(編曲),450救い主よわが罪をば(作曲),519主よみもとに近づかん(作曲))。『古今聖歌集』にはそれらの他にも多くの人に馴染みの聖歌も2,3掲載されていました。
 一方、エモンズ・ハムリンは、メカニックの技術と発明に卓越した力を発揮し、クラリネットやバイオリンなどの楽器に似た音をオルガンで出す方法を発明しました。彼は更にこの技術を発展させ、ヘンリー・メイソンと共に「オルガン・ハーモニウム」と呼ばれる新しい楽器を製作する目的で会社を設立したのです。それが先に記したとおり、1854年のことでした。
 ハーモニウムとリードオルガンを構造上の違いから厳密に区別して言う場合もあるようですが、多くの場合は同じものを意味して用いられているようです。
 同社は1867年のパリ万博展で、ハーモニウムで第1位を獲得して教会音楽の伝統あるヨーロッパ諸国の楽器制作者を驚かせ、その後も世界の音楽界を牽引する働きをしてきました。1881年同社はピアノ製作に踏み切り、以降ピアノの制作においても随所に新しい工夫を見せ、多くの革新をもたらしてきました。一方、ハーモニウム(リードオルガン)の製作は1927年に終了しています。
 日本におけるリードオルガンの現状について少し触れておきましょう。
 リードオルガンは、日本のキリスト教会と学校教育の中で、ピアノがまだ普及しない時期(明治期から昭和20年代)に、沢山輸入され、日本でも製作され、聖堂や教室に置かれて用いられてきました。このオルガンは、パイプオルガンに比べて運搬、設置、調律,維持が容易であり、大量に生産して用いられました。しかし、やがて、ことに第2次世界大戦後、次第にピアノが普及するにつれて、リードオルガンはその流れの中で大量に廃棄されてしまいます。専門家の中には「リードオルガンは楽器としての固有の位置を確保できなかった」と評価する人もいるようです。リードオルガンが廃棄される時期は、日本の戦後の経済復興とともにピアノが普及する時期と重なり、またその時期は、長く使われてきたリードオルガンの部品に傷みが出てその交換や修理が必要となる時期と重なっていたようにも思われます。この時代、「リードオルガンよりもピアノへ」、「リードオルガンよりもパイプオルガンへ」という流れの中で、大量生産される以前に作られていた名器もその多くが廃棄されてしまいました。こうした現状は今も続いていると言えるのではないでしょうか。
 しかし、リードオルガンは決してピアノやパイプオルガンの代用品ではありませんが、ことに日本では、リードオルガンよりパイプオルガンの方が高級であり聖堂に相応しいという印象を持つ人も多く、また近年はキーボードなどの電子楽器の普及もあり、多くのリードオルガンが、例えばふいごが破れたりペダルとふいごをつなぐベルトが切れたりというような故障を起こしたまま、どこか片隅に追いやられている場合も少なくないのではないでしょうか。
 こうした事態を憂慮し、またこの楽器をしっかりと後世に残し使っていこうとする人々の集まりも出来ていますし、有志によって演奏方法や楽器メインテナンスについての講習会も行われています。
 教会音楽も時代と共に移り変わり、現代では、ピアノ、ドラム、弦楽器、その他電子楽器なども採り入れる教会もあるようです。
 しかし、ピアノは鍵盤を押し続けても音が弱くなっていきますので、会衆の聖歌やチャントをリードするには不向きです。パイプオルガンは日本のような寒暖差と湿度差の大きな気候では音質の維持がきわめて難しくそれをするには費用がかかります。また、音量の調節が基本的に難しいため、小さな聖堂ではパイプオルガンの音量が会衆の歌声を消してしまうことにもなりかねません。
リードオルガンは、チャントや聖歌を歌いながら聖餐式を行う聖公会の礼拝をしていく上で、ことに礼拝の会衆が数十名程度の教会では、大切な役割を担ってきましたし、これからもその役割は変わらないでしょう。
 もし、かつて製作された最高級のリードオルガンを今あらたにつくるとすれば、最高級のパイプオルガンと同じ程度の費用がかかるとも言われます。
多くの人にリードオルガンへの関心をもって頂き、使用と維持について関心をもっていただけると嬉しいです。
                          『草苑』(水戸聖ステパノ教会月報)2017.08月号
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2017年08月13日

湖上を歩くイエス    マタイによる福音書14:22-33    聖霊降臨後第10主日 2017.08.13

聖霊降臨後第10主日(特定14)  2017.08.13
マタイによる福音書14:22−33
 湖上を歩くイエス

 今日の聖書日課福音書は、主イエスがガリラヤ湖の水の上を歩いて、弟子たちのいる舟に近づいて来られた物語がとりあげられています。
 始めに、ガリラヤ湖について思い起こしておきましょう。
 この湖は、ガリラヤの盆地にあって、その湖面は海抜約マイナス210メートルです。つまり海水面より約210メートル低い所にあります。その大きさは南北に20q、東西に13qほどの、左半分が膨らんだ竪琴のような形をした湖です。
 夕方になり、ガリラヤ湖周辺の山々の空気が冷えて、昼の間に暖められた湖面の温度の方が高くなると、湖面から上昇気流が生じます。すると空気密度の薄くなった湖面に山の冷えた空気が流れ込み、ガリラヤ湖の天候は一変して突風が吹き荒れたり、その風によって湖が大荒れになることがしばしばでした。
 主イエスの時代の人々は、このような気象現象を気圧や気流という言葉で理解したのではなく、「ガリラヤ湖は荒れ狂う悪霊のひそむ場所」と認識し、その湖が荒れることは「潜んでいた悪霊が暴れる」出来事と考えたのでした。
 この物語をそのような観点から理解することは決して非科学的でナンセンスなことでなく、私たちにとってもこの聖書の箇所からメッセージを受けて生かされていく上で、大切なことであると言えるでしょう。
 主イエスは、その前の日の夕方に、弟子たちだけを舟に乗り込ませて、対岸まで先に行くように命じられました。そして主イエスは、ひとり山に登って祈っておられました。もしかした、主イエスが祈っている場所から、湖上の弟子たちを見下ろせたかもしれません。弟子たちは、夜通し舟を操って対岸を目指しますが、逆風に悩まされています。やがて夜が明ける頃、主イエスは湖の上を歩いて弟子たちの舟の方に近づいてこられました。弟子たちはこの主イエスを見て幽霊だと思い、怯えて、恐ろしさのあまり叫び声をあげました。すると主イエスは弟子たちにこう言ったのです。
 「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」
 聖書の中には、聖書を理解する上でのポイントになる言葉、いわゆるキーワード、があります。今日の聖書日課福音書で言えば、舟に近づいてこられたイエスが、怯える弟子たちに言われたこの「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」という3つの言葉は、どれも皆、大切な場面で用いられている言葉であり、聖書のキーワードであると言えます。
 今日は特に「わたしだ。」という言葉に注目してみたいと思いますが、この言葉は εγω ειμι. 英語では I am. に相当する言葉です。この場面では「わたしだ。」と訳されていますが、「わたしがいる。」とも訳すことができることばです。
 弟子たちは、一晩中、夜の闇の中で、荒れ狂う風と波を相手に漕ぎ悩んでいました。その時、主イエスは一人山に登って祈っておられました。こうした状況は、まさにこの福音書が編集された時代の姿を表し、また現代を生きる私たちの姿を描いていると言えるのではないでしょうか。
 見通しのきかない夜の闇のような時代に、沢山の悪が荒れ狂う中を、目に見える主イエスが一緒にいてくださるとは思えない舟(教会)の中で、初代のクリスチャンもわたしたちもこの舟を一生懸命に操っています。それにもかかわらず、主イエスがお示しになった対岸には少しも近づいているとは思えません。このように漕ぎ悩む弟子たちの舟に、主イエスは湖の上を歩いて、主イエスの方から近付いてきてくださいます。
 先ほど、当時湖は悪霊の住みかであると考えられていたとお話ししましたが、主イエスは悪霊によって湖の中に引っ張り込まれることなく、毅然と歩いてこられます。弟子たちは思ってもみなかった主イエスのお姿を目にしたとき、それを主イエスだとは認められず、幽霊かと思って怯えてしまうのです。
 その時に主イエスが弟子たちに話しかけた言葉が、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」という言葉なのです。
 聖書の他の箇所でも、この「わたしだ」という言葉は、主なる神がご自分の存在と救いの力を人々にお示しになる場面で用いられる言葉です。
一つ他の例を挙げてみましょう。
 かつて、モーセがイスラエルの民を奴隷の地エジプトから導き出すために召し出されたとき、モーセは尻込みして、「わたしがイスラエルの民の所に行って、神がわたしを遣わしましたと言っても、彼らはその名は一体何かと問うに違いありません。彼らに何と言えばよいでしょう。」と尋ねました。その時主なる神はこうお答えになりました。
 「わたしはある。わたしはあるという者だ。」「イスラエルの民にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされた。(出エジプト3:14)」このように主なる神はモーセの前に「私はいる」とご自身の存在と救いの力を示しておられます。
 この世の逆風や荒波にもまれて行き悩む人々に、主イエスはご自身のお姿を現して、出エジプトの使命を与えられたモーセに向かって語られたのと同じように、「ここにわたしがいる。だから、あなたは何も恐れることはない。安心しなさい。」と言ってくださっているのです。
 もう一つ、「安心しなさい。」という言葉にも触れておきましょう。ここで「安心しなさい」と訳されている言葉(θαρσειτε)は、福音書の他の箇所で「勇気を出しなさい。」とも訳されています。この言葉の元の意味をたどっていくと、「安心しなさい」とは、ただ落ち着いて平穏無事にいられるようになだめているのではなく、主イエスが示してくださった目的地へ勇気を出して漕ぎ出していくことを勧めている言葉であることが分かります。
 そうであるからこそ、今日の福音書の後半では、ペトロが勇気づけられて、主イエスの所へと湖の上を歩き出そうとすのです。もし主イエスの言っておられる「安心」が単なる心の落ち着きと平穏無事を意味するのであれば、ペトロは舟の中で静かにしていることの方が相応しかったでしょう。でも、ペトロはただそこにいるのではなく、主イエスの言葉に促されて、自分も主イエスの所まで、悪霊が荒れ狂う湖の上を歩こうとしています。しっかりと主イエスを見据えて歩くとき、人のわざとしては不可能と思えることさえ可能となります。主イエスが悪霊を征服して湖の上にお立ちになる姿に促されて、私たちも主イエスの業にあずかる第一歩を踏み出すことが出来るのです。
 この福音書がまとめられ語り継がれていた時代には、多くのクリスチャンが既に目に見えるイエスがいないように思えてしまう教会で、襲い来る大風と大波に悪戦苦闘し、心細い思いをする人たちが多かったことでしょう。そうした信仰者たちも、この湖を征する主イエスの御言葉によって勇気づけられ、御心を行うことへと踏み出すことができたのです。
 逆風、逆境の中で、弟子たちが自分の力ではどうしようもないと思うとき、主イエスの方から近付いてきてくださって、「私がいる。安心しなさい。勇気を出しなさい。」と力付けてくださったではないか。今、大波と強風に悩む私たちも主イエスが共にいてくださることを信じて歩んでいこう、主イエスご自身がこの波も風も支配なさって、私たちを目的地である対岸へ導いてくださるに違いないという力づけを与えられるのです。
 私たちも、今日のみ言葉によって、現代の荒波へと歩み出していく勇気を与えられています。その勇気の源は、主イエスが「安心しなさい。私だ。恐れることはない」と、言ってくださっていることです。この御言葉に支えれて、私たちは安心して、御心を行う一歩をこの世の荒波の上に踏み出していくことが出来るのです。
 このみ言葉に生かされ、私たちも新たにここからそれぞれの場に踏み出して行くことが出来ますように。
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 16:08| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月06日

主イエスの輝き  ルカによる福音書第9章28−36 主イエス変容の日

主イエスの輝き
ルカによる福音書第9章28−36 主イエス変容の日 2017.08.06

 今日、8月6日は教会の固定祝日の一つである主イエス変容の日です。
 今日の聖書日課福音書も、主イエスのお姿が真っ白子輝いた物語が、ルカによる福音書から採り上げられています。
 主イエスさまがペトロ、ヤコブ、ヨハネの3人の弟子を連れて山に登って、祈っておられるうちに、主イエスのお姿が真っ白くまばゆく輝き、そこで主イエスはモーセとエリヤと何かをお話になっておられます。この姿を見て感激したペトロたちはそこに小屋を建てて主イエスの栄光のお姿をそのままそこに留めておきたいと思うのでした。主イエスは弟子たちにそのことを誰にも言わないようにお話になった、というのがこの主イエス変容物語の粗筋です。
 この物語を理解する上で、ある一つの視点からこの物語を見てみたいと思います。皆さんは「隠し絵」とか「だまし絵」と呼ばれるものをご存知でしょう。たとえば紙の中央に左右対称の花瓶が描かれているように見えるのですが、それを陰影を逆にしてみると、花瓶に見えていた部分は背景であって、左右の背景であった部分は二人の人が向き合った顔の絵に見えてくるのです。
 私は、聖書の物語はこの「隠し絵、だまし絵」に似たところがある、いや、もしかしたら聖書全体が、ことに主イエスの生き方を証しする福音書が「隠し絵、だまし絵」のように記されていると思うことがあります。そして、今日の福音書「主イエスの変容貌」の物語は、聖書に隠されている「隠し絵、だまし絵」の中に潜んでいる意味を私たちに分かりやすく絵画的に示している箇所であると言う事が出来るように思うのです。
 主イエスの日頃のお働きは、人々の目から見れば、決して華やかなものではありませんでした。生きる望みを失った人々を訪ね、捨てられた人々を探し、埃にまみれて各地を巡り歩いて神の御心を伝え、「狐には穴があり鳥には巣があるが、人の子は枕するところもない」というほどにしてお過ごしになりました。一見、多くの奇跡を行い、力強い説教をし、たくさんの人々に癒しと力付けをお与えになる、華やかな生き方のように見えながら、わずかな弟子を残して人々に見放され、その弟子たちでさえイエスを裏切り、主イエスは十字架の上に捨てられるようにして死んでいったのです。多くの人は主イエスの十字架のお姿を見て、あざ笑い、罵り、「あの男は神の子と呼ばれながら結局何も出来なかった」と言いました。そのような人々の中からは、「隠し絵、だまし絵」をただ一面的にしか見ることの出来なかった姿が現れています。その一方、主イエスの十字架の出来事を見ていた人の中には、全く違う見方をした人もいました。イエスの十字架の一番近くにいた百人隊長は言いました。「本当にこの人は正しい人だった。」百人隊長は同じ「隠し絵、だまし絵」を違う視点から見ることによって、イエスという男に現れた「神の子」の姿を見たのです。
 イエスという男が十字架にかけられ殺されていったと言う一つの出来事の中に、多くの人は「貧しい人々を救おうとして、神を侮辱した者と見なされて殺された一人のバカな男」と言う意味しか見て取れませんでした。それは「隠し絵、だまし絵」の誰の目にも見る事の出来る一面なのです。でも、主イエスの、失敗であり挫折であり敗北に見える十字架の上に、ほんの一握りの人は「本当に神の子である」者の姿、「本当に正しい人」の姿を見たのです。
 そのような視点をもって、今日の福音書「主イエスの変容貌」の物語を見てみましょう。
 主イエスに連れられて山に登った3人の弟子は、主イエスがモーセとエリヤと一緒に話し合っているのを目にします。ところが、32節にあるとおり、その時「ペトロと仲間は、ひどく眠かった」と記されているのです。もし弟子たちがここで主イエスがモーセやエリヤと話し合っておられる話の中味を本当に理解できていたら、眠くなどなっていなかった事でしょう。人は緊張したり感激している時に眠くなったりはしません。たとえば同じ講演を聞いていてもある人はその内容を深く自分のこととして受け止めて目をサラのようにしいても、他の人は興味を持てずに眠くなるということがあります。この場面で、主イエスが話しておられるのは「エルサレムで遂げようとしておられる最期について」でした。主イエスはこれからエルサレムに行ってそこで十字架にかけられて死ぬことになると言う事をモーセとエリヤと話していたのです。モーセとエリヤと言えば旧約聖書の律法と預言を代表する人であり、ここで話し合われている内容は、主イエスが旧約聖書時代からの神の御心をエルサレムでの十字架の死によって完成すると言う事です。そのことが話し合われている時にペトロ達は眠くて仕方がないのです。ペトロ達にはまだ主イエスの十字架の意味することが理解できていないのです。それと対比するかのように、ペトロ達は真っ白に栄光に輝くお姿になっておられる主イエスの事はこの山の上に小屋を建てて何としても留めたいと考えます。自分が主イエスに期待している栄光のお姿が現れれば、それをいつまでも留めておきたいペトロの思いがここに見られます。
 私たちは誰でも人の華やかな面、輝かしい面を見がちです。そしてその華やかさや輝きを自分の所に留めておきたいと思いやすいのです。
 でも、私たちは主イエス様のどこに輝きを見るべきなのでしょうか。また、私たちは主イエスの何を誇りとすべきなのでしょうか。人々に仕え、ご自分を与え尽くして、最期には十字架にかけられて死ぬ事になる主イエスを、私たちは栄光あるお方とし誇ることができるのでしょうか。
 日本の児童福祉の実践家であった糸賀一雄(1914〜1968年)という人がいます。この人は知的にハンディキャップを持った子どものための施設「近江学園」、重度心身障害児のための「びわこ学園」を創立した人です。この人は、「この子らに世の光を」というスローガンで、障がい児を社会から隔離するのではなく社会とのつながりの中に生きられるように訴え、その実現に努めました。しかし、この人はハンディキャップを持つ子どもたちによって自分の意識を変えられ、そのスローガンを「この子らに世の光を」から「この子らを世の光に」とするのです。糸賀一雄氏は、当初、恵まれない子どもに対して社会の明るい光を与えよう、知恵遅れの子どものために社会がもっと支援すべきだという考えがあったのです。でも、糸賀氏は子どもたちと出会うことで、この子どもたちこそ世の光なのだと悟るのです。むしろ社会が切り捨てているこの子どもたちこそ本当の光を放っている、この子どもたちを世の光にしなくてはならないと考えるように変えられていきました。
 今の世の中は、出来るだけ時間をかけずに物事を処理すること、経済的に高い効果を上げることが、良い評価を受けます。また、社会的に成功することは、高い地位につくことや政治的な権力を握ることであるかのように考えられます。そのような価値観が支配すれば、障がい児の放つ光は、かき消されてしまうでしょう。
 主イエスの変容物語は、わたしたちに問いかけます。「あなたはどこに主イエスの輝きを見ようとしているのですか。」と。
 私たちは、その問いかけに揺さぶられながら、私たちが生きる大切な意味を「隠し絵、だまし絵」の中に見出すことが出来るようになるのです。
 たとえば、経済的に高い収入を得ること以外に人生の成功はないと思っている人には、たとえ粗末な食べ物でも食卓を囲んだ豊かな会話のある人間らしい食事の中に幸せを見ることは出来ません。生徒のテスト成績の結果しか眼中にない教師の心には生徒を人間的に大きく育むはずの青年期の悩みを受け取って支援していく関わりを生徒との間につくることも難しいでしょう。綺麗でお行儀の良い子しか評価しない保育者は、子どもの成長と表現の深さや痛みに寄り添うことは出来ないかもしれません。
 そのような人は自分のことも他人のことも、収入の多さや偏差値の高さによって人を一面的にはかり、人としての存在の重さや生きていることそのものの価値を見ることが出来なくなってしまいます。
 これからエルサレムに向かおうとする主イエスの姿が、白く目映く輝きました。主イエスが貧しく弱い人々を愛し抜いて生きる中に見える栄光の姿が、鮮明にクローズアップされたのです。主イエスは、エルサレムに上っていって十字架に架けられることは避けられませ。当時の政治的宗教的指導者に憎まれ恨まれて殺されることになろうとも、貧しく弱い人たちに神の御心が現れるようにと、人々を愛しぬき仕えぬいた主イエスにこそ神の輝きがあるのだということを、今日の福音書は教えています。
 私たちは、主イエスの「だまし絵、隠し絵」のような御生涯の、何に、どこに、救い主としてのお姿を探すのでしょう。主イエスの苦難の生涯に、神の救いのみ業をしっかりと見出し見つめて、主イエスに導かれて参りましょう。
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 16:46| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする