2018年03月05日

教会員外の葬儀 2018.02.22

2018年2月22日(木)
 教会員(信徒)ではない方の葬儀を行いました。
 ある男性からの電話での問い合わせがありました。その方のお母さまが101歳で逝去されたとのことですが、数年前にはその方のお父さまが逝去され、その時は前任者の司式により葬儀を行ったので、同じように引き受けていただきたいということでした。
その男性(喪主になるご子息)においでいただき、事情をお聞きして打ち合わせた上で、葬儀の司式をお引き受け致しました。
 今回、教会員でない方の葬儀をお引き受けしたことについての私の思いを記しますので、皆さんにも、未信徒の葬儀について、聖公会について、など考えるきっかけにしていただければ嬉しく思います。
 まず、聖公会という教派の性格についてです。聖公会をプロテスタント教会の中に位置づける人もいますが、聖公会はむしろ改革されたカトリック教会という性格を持っています。ここでいう「カトリック」とは、一教派としてのカトリックのことではなく、教会があるべき普公的な姿としての意味です。
 聖公会は、16世紀にローマ教会の支配から分離しますが、アングリカンチャーチとも呼ばれているとおり、「英国民であれば英国教会員」という時代を過ごしました。他のプロテスタント教会がその教派独自の信仰箇条を持ち信徒はその信仰箇条に従う者の集まりであるのに対して、聖公会は信仰内容を規定する細かな信仰箇条をもたず、その領地に生きるすべての人を牧会の対象としてきた歴史があります。当然その人々の中には、熱心な信徒もいる一方で、普段の主日礼拝に集えない人やキリスト教理解が不十分なままその信仰が自覚的ではない人々も沢山いたのです。聖公会の立場からは、その人々も神の救いの外にあるのではなく、教会から神の恵みと祝福をもたらさねばならない(救いに与る必要のある)のです。
 こうした精神(考え方)により、聖公会は神の恵みや救いのみ業は、明確な自覚的信仰を持つ人だけではなく未信徒にも及んでいると考え、宣教や牧会についても未受洗者や自覚的信仰を持たない人々に対する配慮は当然行われるべきであり、結婚式や葬儀も信徒に限定するべきではないというスタンスなのです。
 この度逝去された方は受洗してはおられませんでしたが、その亡夫は、生前にキリスト教無教会派の礼拝や集会に熱心で、キリスト教での葬儀を希望しておられたこともあり、ご子息がこの教会に葬儀の希望を申し出られ、前任者がお引き受けした経緯がありました。
 今回はその方の配偶者の逝去ということで、喪主であるご子息は今回もこの教会に葬儀のご希望を申し出て来られました。葬儀には急な対応を求められますが、その日程も神さまのお守りによって支障なく設定でき、無事に葬儀を済ますことが出来ました。ただし、受洗された信徒ではありませんので、祈祷書の「葬送式」ではなく、別式の「葬送の祈り」を用いました。
 皆さんの周りに、本当はキリスト教での葬儀を希望している人がいるのではないでしょうか。私は自分が読経により送られる世界のことは知りません。でも、イエスに伴われて自分を委ねる先のことは信じています。
このような出来事の一つひとつをとおして、私たちの信仰の在り方や生き方を神から問われているように思うのです。
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 05:23| Comment(0) | 教会日誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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