2018年05月14日

大祭司主イエスの祈り B年 復活節第7主日 ヨハネによる福音書第17章11節−19  2018.05.13

 大祭司主イエスの祈り
B年 復活節第7主日 ヨハネによる福音書第17章11節−19  2018.05.13

 今日、復活節第7主日は昇天後主日です。主イエスは十字架の上に殺されて三日目に甦り、その日から40日に渡って弟子たちにお姿を現わされました。甦りの日から40日目経った日、主イエスは弟子たちの前で天に昇って行かれました。
 今年の復活日は4月1日でした。その日から数えて40日目の昇天日は、先週の木曜日5月10日でした。それから10日経った日つまり主イエスの甦りの日から50日経った日に弟子たちに聖霊が与えられており、今年は来週の主日5月20日が聖霊降臨日になります。
 教会暦のこのような流れに基づいて言えば、今日は、主イエスが天に昇った後の、まだ聖霊を与えられていない10日間の中の主日を過ごしています。この主日は、昔から「待ち望み」の日曜日とも呼ばれおり、私たちはこの主日を、弟子たちと共に主イエスが再び来てくださることを待ち望みつつ、祈ることへと導かれる主日にしたいと思います。
 ルカによる福音書の一番最後の部分第24章52−53節には、次のように記されています。「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに帰り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」
 私たちは、ニケヤ信経や使徒信経の中で、「主イエス・キリストは、天に昇って神の右に座し、再び来られます。」と唱えているように、再臨の主イエスにお会いすることを待ち望みながら生きています。
 主イエスが天に昇っておられ、また私たちの所においでのなるという視点を持ちながら、今日の福音書に注目してみましょう。
 今日の福音書の部分を含めて、ヨハネによる福音書第17章全体は、主イエスが弟子たちと別れる前の晩(すなわち十字架にお架かりになる前の晩)に、熱い思いで天の主なる神に向かって祈っておられる箇所であり、「大祭司イエスの祈り」の箇所と呼ばれています。主イエスの地上の生涯が十字架の上で終わった後、弟子たちは目に見える主イエスのいない世界に生きていかなければなりません。その弟子たちのために、主イエスはご自身に迫る十字架の死を前に、血の汗を流すほどの思いで祈っておられます。このような主イエスのお姿と祈りの内容から、この箇所が「大祭司イエスの祈り」の箇所を呼ばれるようになります。少し祭司の働きを考えてみましょう。
 祭司は神の人々の間に立って、人々の思いと献げ物を一つにして神に献げ、神の思いを人々に伝える働きをします。神と人の間で、お互いの仲介者となって儀式を執り行います。特にユダヤ教の中では、人々の命の身代わりとなる羊を生け贄として献げ罪の赦しと人々の浄めを仲立ちする働きをしました。しかし、主イエスは神の御前でご自身を十字架の上に献げてくださり、その十字架の出来事は神殿の儀式も祭司の働きも必要としない、ただ一度の必要にして十分な贖いを完成してくださったのです。
 この主イエスが大祭司と位置づけられ、まさにこの後十字架に架けられようとする直前に、弟子たちとこの世のために祈っておられるのが、ヨハネによる福音書第17章なのです。
 主イエスの、祈りの内容に注目してみましょう。特に「願い文」になっている箇所を見てみると、第17章11節で主イエスは「聖なる父よ、わたしに与えてくださったみ名によって彼らを守ってください。わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。」と祈っておられます。また、17節では「真理によって、彼らを聖なる者としてください。」と祈っておられます。
 主イエスの願いは、弟子たちが神に守られること、主なる神がイエスと一つであるように弟子たちもまた神と一つになること、そして弟子たちが聖なる者となることでした。
 主イエスは、人間の姿をとり、人々の目に認められる存在となってこの世に宿りました。私たちは、いつでも、何をする時にも、イエスの名によって守られ、信仰による導きを受けており、真理へと導かれています。主イエスは弟子たちとの別れを前に、主イエスが目に見えるお方ではなくなっても弟子たちが神としっかりつながり一つであるように、その守りと導きを天の主なる神に祈っておられます。そして、神の大きな守りの中で、弟子たちの横のつながりに於いても、一つになるようにと祈ってくださっています。
 私たちがイエス・キリストの名によって一つになるということは、私たちの考え方や行動の様式や発言の内容までが画一的なるということではありません。そうではなく、神の言葉を土台に据えて自分にとってこれが本当に神の御心であると信じる道を探りながら生きていく時に、私たちはその信仰において一つです。そして、私たちのそれぞれの生き方と働きがキリストの体の一部となり、イエスの体の働きの中に意味づけられるのであり、それは教会を一つのキリストの体として立て上げていくことに繋がっていきます。
 主イエスは弟子たちとの別れの前夜に血の汗を流して祈りました。その数時間の後、主イエスは十字架に架けられます。この世で目に見える主イエスがいなくなると、弟子たちを怯えさせ弟子たちの勇気をくじこうとする沢山の霊が迫り、また弟子たちを誘惑することでしょう。そればかりでなくイエス・キリストの名が誤解されて、その名を信じる人たちがユダヤ教の会堂から追放され、またローマ当局からも弾圧されるようになっていきます。それでも、主イエスの十字架に示された神の愛に生きる者として、この世界に神のみ業を行なうことで一つとなるように、主イエスは大祭司として祈っていてくださっています。
 この祈りは、主イエスが十字架にお架かりになる前夜の祈りであると同時に、主イエスが天にあって私たちのために執り成してくださる祈りでもあります。
 私たちがイエス・キリストの名によって守られ導かれながら、大祭司イエスが示してくださった真理、主イエスこそ真の救い主であることを証しするためにここから遣わされて参りましょう。主イエスは天に昇った後、父の右に座し、今も大祭司として天からこの世界を祈りで包んでくださっています。
 そして、私たちは、私たちが天で祈っていてくださっている主イエスと一つであるしるしとして、助け主である聖霊をお与えくださることを約束してくださいました。私たちは、大祭司主イエスによって祈っていただいています。私たちは、主イエスの祈りに支えられて、神とこの世界の間に立ち、私たち一人ひとりも祭司の務めを担うのです。この世界の祈りを神に届け、神の御心をこの世界に知らせ、御心を実践していくよう働いていく使命をを与えられています。
 ことにこの主日に、私たちは聖霊の力を待ち望みながら、ひたすら祈ることを通して、主の御心を実践していく教会としての力を受けることが出来ますように。
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 05:14| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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