2018年12月30日

降誕節を生きる  ヨハネによる福音書第1章1〜18 C年降誕後1  2018.12.30

降誕節を生きる
ヨハネによる福音書第1章1〜18 C年降誕後1  2018.12.30

 降誕日の直後の主日です。降誕後第1主日を迎えました。
 かつて、クリスマス・イヴ礼拝に出席した小学生が、礼拝後の茶話会で私にこう話しかけてきました。
 「日本のクリスマスはイヴだけで終わっちゃうけど、本当のクリスマスは明日なんだよね。」
 私は「その通り。そしてクリスマスは12日間続いて、世界はこの時が一番平和なんだよ。」と答えました。
 今年も、主イエスのいない年中行事のクリスマスは、イヴのお飾りがなくなると共に過ぎていきました。でも、クリスマスのことで大切な事は、御子イエス・キリストの誕生によって、神の御心がこの世界に具体的に示された事をしっかりと受け止める事であり、信仰者のクリスマスは12日間、1月6日の顕現日の前日まで続きます。
 教会暦の一年は、主イエス・キリストを迎えるための4つの主日を過ごすことに始まり、私たちは今、主イエス・キリストのご降誕を祝う平和の時を過ごしています。
 降臨節、降誕節が、教会暦の上で、一年の初めに置かれいるのは、私たちがイエス・キリストを迎え入れてこれから信仰生活が始まっていくことに位置づけら、意味づけられているように思われます。皆さんは、いかがお考えでしょうか。
 私たちはこのような教会暦の中にも教会の伝統が受け継がれていることを大切にして、その精神を生きることを受け継ぎ、また後世にも引き継いでいきたいと思うのです。
 
 教会暦の降誕節の12日を考える上で、小さな絵本のお話をしましょう。
 それは、『クリスマスの祈り The Legend of the Cristmas Prayer (ブライアン・モーガン著』(いのちのことば社)という絵本です。
 クリスマスが近づく頃、ある男が、自分が他の人に贈ることの出来る最高のプレゼントは何かを考えますが、行き着いたのは、
 「きっとお金で買えないほどのねうちのある贈り物があるにちがいない。」ということであり、クリスマスの12日の一日一日の祈りの言葉を羊皮紙に書いていきます。
 例えば、1日目は
「クリスマスの1日目に 君のために喜びを祈ろう。あふれるばかりの喜びと、心うるうおす笑い声を。笑い声は病をいやし 喜びはたましいを高く舞いあげる。」
 そして、2日目は吐息を、3日目は涙を、4日目は静けさを、5日目は知恵を、更に、忍耐、勇気、あわれみ、働く喜びなどが祈られ、12日目には
「クリスマスの12日目に 君のために愛を祈ろう。心の底から湧きでる愛を。くらしのなかで行き交う人にいつも愛を与えることができるように。」と書き上げます。
 でも、ここで男はこれらの宝はみなすでに贈ろうとする友の中にあるもので、この言葉を書く度に、それらの言葉が自分の心にもしっかりと刻まれていたことに気付きます。
 やがてこのクリスマスの祈りは、この男のことは忘れ去られていく中、書き写されて他の多くの人から人へと届けられ、贈る人にも贈られる人にも豊かで暖かな心が拡がり、この本を手にするあなたも暖かな心になりますように、と結ばれてこの本は終わります。

 私は、絵本としての評価は別にして、この本を通して、クリスマスの12日間について、ことに私たちの降誕節の過ごし方について思い巡らせることが出来ました。
 今日の福音書の中で「言は自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(1:11)とあります。世の中はクリスマスを季節の行事のように祝いながらも、イエスをキリストとして受け入れてはいません。そのような中でも教会は、粛々と淡々と、主イエスが闇の中の光として世に来られたことを語り続け、その光が世界の隅々にまで行きわたりますようにと祈るのです。
 この世が主イエスを認めなくても、民が受け入れなくても、神が主イエスを敢えて貧しく小さなお姿でお与え下さって私たちを熱い思いで愛してくださっている事を覚え、教会は時が良くても悪くても、主イエスによって与えられた救いについて思い巡らせて祈り、伝えていく使命を与えられているのです。
 私たちは、貧しく小さいお姿でこの世に宿って下さった主イエスによって神の愛を示されました。私たちはそのようにしてまで独り子を惜しまない神の愛を伝えられ、そのキリストを受け入れました。私たちは、私たち自身の中にある心の闇を見つめて、またその一方で、主イエスを自分の心の闇に迎え入れることで、今まで見えていなかった多くの事を新しい目で見る事ができるように導かれたいのです。
 この世界に生きている動物は、それぞれの種類によって認識できる光の波長が違います。例えば、人間の目には紫外線は見えないけれど、チョウには紫外線は可視光線であり、その見え方で、チョウは花の種類を見分け、雄と雌の違いをすぐに識別しています。このことを比喩として言えば、私たちは主イエスを通して示された神の愛を受けて、私たちはその愛の目でこの世の出来事を見ることで、その視点からこの世に神の愛をもたらす生き方へと促されていきます。
 例えば、今まで拒んでいたイエスについて、見ようとしなかったイエスについて思い巡らせ、イエスの名によって祈ることによって、見える世界が新しい拡がりをもたらすことへとつながっていきます。
 先程紹介した絵本の中で、男が他の人に贈る最高のプレゼントを思い巡らせることを通して、この世の富としては決して手に入れることのできないものに気付き、相手のために祈ることへ、そしてそれは届ける人も届けられる人も心豊かに温かくされることが示されていました。
 それまでは、例えば、得か損か、高いか安いか、勝ちか負けか、上に立つか従うか、自分の思いどおりかどうか、気に入るかどうかと言うようなことを判断基準にして、その枠で見える中で生きて来た者が、主イエスを迎え入れることによって見えてくる世界とそこに生かされる感謝と喜びによって、教会は生かされ歩んでいきたいのです。
 降誕節の12日間は、私たちが主イエスによって神から与えられた「愛」を自分の判断の基準にして生きられるように、主イエスを私たちの馬小屋のような粗末で汚れて他の人には触れないで欲しいような所にも迎え入れて、その喜びを確認して過ごす期節です。
 馬小屋のような粗末な場所であっても、そこを宣教の始めの場所としてこの世に来られた御子主イエスを迎え入れ、見つめて、神の愛の視点を養われましょう。そして私たちが生きていく判断基準も私たちの内に宿ってくださった主イエスに基づくものとなるよう、祈り求めていきたいと思います。
 もう一度今日の特祷を捧げ、私たちが神の愛によって目を開かれ、神の愛を映し出す働きに与る思いを新たに致しましょう。
 全能の神よ、あなたは驚くべき御業によりわたしたちをみかたちに似せて造られ、更に驚くべき御業により、御子イエス・キリストによってその似姿を回復してくださいました。どうか、主が人性をとってわたしたちのうちに来られたように、私たちも主の神性にあずからせてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 17:19| Comment(0) | 説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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