カテゴリー:教会の紹介

2016年12月31日

日本聖公会とは

日本聖公会
私たちの教会は「日本聖公会」というキリスト教の正統の流れにある教派の教会です。
 キリスト教の教会は、もともとは「イエスは救い主である」という信仰に始まる集まりです。イエスの遺志を継いだ人々の働きは中近東、アフリカ北部、ヨーロッパへと広がっていきました。
 16世紀以降、多くの教会が「ローマ・カトリック教会(旧教)」から分離していきました。このようにしてカトリック教会から分離していった教会を後に「プロテスタント教会(新教)」と言うようになります。
 当時、英国ではヘンリー8世が王室の問題をきっかけに1534年に英国教会をローマ・カトリック教会から分離し、Church in England を「Church of England(聖公会)」と呼ぶようになりました。
 聖公会はローマ・カトリック会から分離していることから、また、英国教会となってからヨーロッパのプロテスタント教会からも大きな影響と受けたことから、プロテスタント的であると言えます。
 しかし、プロテスタント教会がそれまでの多くの伝統や習慣を捨て去ったのに対して「聖公会」は多くの伝統を残し教会の経験を保持しました。その意味で「聖公会」はカトリック教会と共通する多くの伝統、習慣、考えを残しており、アングロ・カトリックの教会であるとも言えます。
 現在、聖公会は英国を中心に世界160カ国に拡がり、Anglican Church また Episcopal Church と呼ばれています。
 日本では日本聖公会という一つの管区を構成しています。
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北関東教区とは

北関東教区
 日本聖公会は、この世の法律(宗教法人法)のもとでは、「日本聖公会」を包括法人として11の教区から成っています。その11教区の中の一つが「宗教法人日本聖公会北関東教区」であり、北関東教区は茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県の4県にある24の教会で構成されています。他に立教学院新座キャンパスの聖パウロ礼拝堂その他の関係施設があります。
 茨城県内には日立聖アンデレ教会、水戸聖ステパノ教会、下館聖公教会(筑西市)、土浦聖バルナバ教会の4教会があります。また、教会の併設して水戸には愛恩幼稚園、筑西には下館幼稚園があります。
 聖公会は、私たちの北関東教区でも、幼児教育をはじめ、ハンセン病者の支援や老人福祉などの面に於いても、先駆的な働きをしてきました。
 日本聖公会は、1887(明治20)年に、大阪川口の三一神学校講堂にて日本聖公会第1総会が開かれ、日本聖公会としての組織が成立していますが、北関東教区は1896(明治29)年4月に開催された第5総会で「東京北部地方部」が成立した時を教区のはじめと位置づけています。
 北関東教区歴代主教は、J.マキム、C.S.ライフスナイダー、蒔田誠、大久保直彦、齋藤茂樹、八代崇、宇野徹、松原栄、そして現任の広田勝一師です。
ラベル:北関東教区
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水戸聖ステパノ教会

水戸聖ステパノ教会の歴史
 1899(明治32)年10月、マキム主教はR.W.アンデルス司祭を水戸に遣わし、地域の状況を視察させ、11月12日より水戸での伝道活動を開始することとなり、アンデルス司祭を補佐して北沢繁松伝道師が働いた。最初の講義所は市内大町に設けたが、1903(明治36)年に泉町に移り、毎週金曜日には説教会が開かれた。更に同年、南町の現在地に移り、北沢師に代わって土田三秀執事が赴任した。翌年、アンデルス司祭は新しい聖堂の建設についてJ.ガーディナーに託して帰国した。後任にJ.チャペル司祭が赴任した。この年から礼拝堂建築に着手し、1905(明治38)年4月23日マキム主教を迎えて聖堂聖別式が執行された。教会は、1904年10月6日付けで茨城県から水戸聖被得(ペテロ)教会として認可されたが、使徒時代最初の殉教者ステパノに因み水戸聖ステパノ教会と改められた。
 愛恩幼稚園は、1917(大正6)年9月にチャペル師の尽力により、A.H.ライト女史を園長として園児5名で開園した。
 1925(大正14)年3月14日に教会会館より失火した火災により会館、礼拝堂、幼稚園舎を焼失し、聖堂が再建されたのは1926(大正15)年4月3日であった。新聖堂はJ.ガーディナー設計の最後建物であり、その美観は水戸の名物となったが第2次世界大戦の折に焼失している。
 1934(昭和9)年9月に赴任した森譲執事は翌年10月8日に司祭按手を受け、この教会にとって邦人初の主任司祭となった。第2次世界大戦が激しくなるにつれ、森司祭は2度兵役に服した。定住聖職のいない教会でも礼拝や集会は欠かさず行われたが、1945(昭和20)年7月25日、愛恩幼稚園は休園に至り、8月1日夜半からの大空襲により、水戸全市は火の海となり、礼拝堂、牧師館、幼稚園全てを焼失した。
 1946(昭和21)年に森譲司祭が復員し、幼稚園を泉町と勝田町で再開した。1948(昭和23)年4月に新礼拝堂が聖別され、翌年には幼稚園保育室が建てられた。
 森譲司祭は、1950(昭和25)年4月に聖公会神学院副校長就任のために転出し、同師は後に京都教区主教に着座した。
 愛恩幼稚園は、1972(昭和47)年10月31日付けで学校法人化が認可され、併せて進めてきた聖堂と園舎を一体とした建物を竣工し聖別式を1973(昭和48)年7月5日に行った。1979(昭和54)年11月11日、森譲師を迎えて宣教80周年記念礼拝を行い、翌年4月月29日にはの教区信徒一致の日合同礼拝を本教会を会場に行った。
 宣教100年を迎えた教会は、1999(平成11)年に聖堂正面にステンドグラス「聖ステパノ殉教の図」を奉献し、記念礼拝を行った。
 2011(平成23)年3月の東日本大震災では、鐘楼の断裂や聖堂正面御影石の崩落をはじめ聖堂と幼稚園舎に甚大な被害があったが、世界の祈りと経済的支援を得て復旧に当たることができた。
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 22:45| 教会の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする