カテゴリー:牧師のコラム

2019年08月04日

「平和」を思う

「平和」を思う    司祭 ヨハネ 小野寺 達

 水戸市は、第2次世界大戦下の1945年8月1日深夜から2日未明にかけて、空襲を受け、米国機B29の投下する焼夷弾によって市街地のほぼ全域が焼け野原となり、本教会聖堂と幼稚園園舎を焼失しただけではなく、本教会員の中にも死傷者が出ました。
多くの人がこんな悲惨な戦争を二度と起こしてはいけないと感じ、思い、考えました。戦後に制定された日本国憲法は、基本的人権の尊重、国民主権主義(民主主義)、平和主義を3つの柱としました。この憲法はその発布当時から大多数の人によって受け入れられ支持されてきたと言って良いでしょう。敗戦を契機とし、日本人自身の手による憲法ではなかったとしても、恒久平和への思いは、第2次世界大戦を経験した人々にとって、その反省と共にごく当たり前の感覚であったのではないでしょうか。
 しかし、その後70年を経て、世界の状況は変わり、国内でも日本を戦争に参加できる国にしようとする動きや原爆を造れる状態にしておこうとする政策については、その一部は特定の政治家の私見とはいえ、いつの間にか表立って発言されるようになりました。そして現世界の状況では現憲法は現実的ではないとして、改憲すべきであるという声は大きくなってきています。
8月は広島(6日)と長崎(9日)に原爆が投下された月であり、日本が連合国軍に対して無条件降伏することを認めたことが天皇という人間の声と言葉によって放送された(15日)月でもあります。
 第2次世界大戦の爪痕が次第に薄くなってくると、戦争そのものについての意識も希薄になりがちです。でも、戦争の悲惨さや酷さを語り継ぐことは大切なことであり、忘れてはならないことです。
 例えば、原爆の悲惨さは永久に語り継がれなければなりません。同じように、戦争の被害者も加害者も、自らの思いと言葉と行為と怠りを語り継ぐ必要があります。この教会の信徒であった方とその家族は、おそらくは戦争など望まない平凡な一市民であったことでしょう。それにもかかわらず、戦争によって一夜のうちに家族ごと命が奪われてしまったことを取りあげてみても、戦争など決してあってはならないこととして語り継いでいくべき事でしょう。
 極めて個人的なエピソードであっても、その家族や親族などの域を超えて語り継がれる必要のある事もあり、そこから何を受け取り何を学ぶのかは、その後の時代をどのように生きるようとするのかということにも関わる大切なことだと思うのです。
今年の3月24日にNHKeテレで放送された『趣味の園芸』という番組の「バラと暮らす12ヶ月(第12回)」というコーナーで、わたしの亡父が作出したバラが紹介されました。
 そのバラの花は「のぞみ」と命名されており、野バラのような一重の桜草ほどの大きさです。この「のぞみ」という名に込められた亡父の平和への思いを共有していただきたく、ここにその文章を転記致します。

《バラになった少女》 
小野寺 透
 私と仲の良かった妹が、牧師と結婚して教会の事業にたずさわること半年で、その牧師は知る人ぞ知る南方の激戦地ガダルカナルへ出征した。その時生まれてくる子供に“のぞみ”と名づけて行った。
 彼は周囲の兵隊たちと同じく殆ど死んだと同様に倒れていた。その時耳元でアメリカ兵がガヤガヤ話していた。やがて彼は、そのアメリカ兵達の話にアメリカ英語で返事をしてしまった。それは彼が牧師に必要な神学の勉強に、数年間アメリカ留学していたからであった。
 彼の返事を聞いて驚いたのはアメリカ兵であったが、それが縁で彼は通訳の仕事を受け持ち、結局無事帰国することになった。出征時に名付けた“のぞみ”は女の子であって、父親の実家があった満州に渡った。渡った当時(昭和18年頃)の満州は平和であったが、終戦後、例のソ連軍の侵入で、女ばかりの一家の生活は苦しくなり、先ず祖母が亡くなり、次いで母も亡くなり次々に家族が死亡し“のぞみ”は一人ぼっちになって、近隣の教会関係の人々に助けられ暮らしていた。
 やがて帰国の順番が来て、三歳の“のぞみ”は一人で帰国列車に乗り、はるばる長い汽車の旅を続けて、日本に着き、やっと明日は東京に着く予定が列車の編成の都合で一日延びた。この延びた一日が幼い女の子に限りない悲劇となったのである。それは、この延びた日の東京品川に着く二時間前に、長旅の疲れか“のぞみ”は列車の中で息を引きとってしまったのである。
 一方父親は品川駅に、生まれてはじめてのわが子を迎えに行って、未だ温もりの残っている我が子“のぞみ”を抱いたのである。この様にして父親は“のぞみ”の持ってきた二つの遺骨箱と一緒に浦和の家に帰ってきて、狭い我が家は一度に三つの葬式をすることになった。
 話をバラに移して、私は1968年(昭和43年)頃から実生花を作り始め、最初の作出花に私は忘れ得ぬ、“のぞみ”という名前をつけた。バラの“のぞみ”は浦和では六月の第二週頃に一週間くらい桜草のような花で盛大に咲くが、ヨーロッパの気候では六月から十一月まで咲き続けるので、世界中のバラ花壇に植えられて有名になり、バラを記事にした世界中の本にも載っているし、有名なプロフェショナルのバラ作りの集会に、アマチュアの私が唯一人招かれたりしている。 ”のぞみ”が埼玉の浦和生まれであることを思うと、無常の感慨に打たれるのである。                                
 
ちなみにバラの“のぞみ”は、英国王立園芸協会の「アワード・オブ・ガーデン・メリット」を受賞した唯一の日本品種です。私の父親が書いたこの文章の載った冊子の発行年月を調べる余裕もありませんが、この文章はおそらく1970年代に、父親が埼玉バラ会の会報に掲載したものです。
 私の父親も召集され兵役を強いられましたが、帰還できたおかげで、私は戦後ちょうど5年経った8月15日に生まれ、生かされて、更に3人の男児の父親になりました。しかし私と同じように、それぞれの命を生きているはずであった多くの人々が、戦争によって尊い命の繋がりを断ち切られてしまいました。私の従姉妹になるはずであったのぞみちゃんもその母親である私の叔母純子も、直接被爆した者ではないにしても、戦争のために命を奪われました。
 そのように多くの人の生命をも奪ってまで他国と交戦する根源には何があり、誰がいて、どうすることを目指しているのでしょう。
平和に生きることは、神の御心を求めて生きることや他者を愛することと深くつながっています。私は自覚する前に洗礼を受けたクリスチャンですが、イエス・キリストの愛と赦しの中に生かされ、その愛に基づいて平和を希求する人々と共に生きていきたいと思います。
  「平和を実現する人々は、幸いである、
  その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)」
 たとえ私たち一人ひとりは小さくても、キリストの平和を担って生きることを歩む者でありたいと思います。
 (『草苑』水戸聖ステパノ教会月報 2019年8月4日発行 NO.575)
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2019年07月07日

神が良しとされた世界に生きるために

 「原発のない世界を求める世界協議会」が日本聖公会の同実行委員会主催で5月28日〜31日に仙台で開催され、本教区からの参加者2名のうちの一人として出席して参りました。協議会の全体像は、もう一人の参加者により今月下旬発行の『北関東教区時報』337号に報告されますのでここでは省略し、私の原子力発電についての個人的な意見(思い)を記します。
 「この頃奇妙な病気が増えていて、私は原爆の放射能のせいではないかと思うのですよ」。これは私が子どもだった頃の小児科医の言葉です。1950年代半ばから後半の頃のことでしたが、母との会話の流れからこの小児科医がふと口にした一言は今も私の耳の奥に残り、「原子力」という言葉を聞く度にあの医師の声と言葉が私の中で動き始めます。
 1950年生まれの私には、ヒロシマもナガサキもそれほど遠い出来事ではありません。私の友人の母親にヒロシマ被爆者もいます。第五福竜丸の被爆事件(1954年3月)の衝撃や米ソ冷戦時代の核実験とその放射能がいつ頃日本に到達しそうかということを含めての不安は、当時の日本人は今の時代よりもっと高い意識と関心を持たせていたように思います。
 他国で核実験が行われると、ラジオ番組では放射能がいつ頃日本に到達するかということも話題になり、友だちと「今、雨に当たるとハゲちゃうよ」などという会話もしました。核実験に対して敏感な時代だったのでしょう。
 高校時代には物理の先生から「原子力が必然的に生み出す廃棄物をガラス詰めにして日本海溝に投棄する考えがあるが、君たちはどう思うか」と問われました。その問いは50年経た今も相変わらず続いているのです。いつどんな地殻変動が起るか予測もできないのに、半永久的に残り増え続ける高レベル放射性廃棄物を「安全な処理方法」だとして投棄や埋蔵することなど許されないと思った当時の思いは、基本的には今も変わりません。これは科学的に安全かというだけの問題ではなく、人間と他の生物が安全に核のゴミのない世界に生きるための総合的な問題でもあります。
 生物学の教授が執筆した原子力発電の冷却水による海水温上昇が周辺海域の生態系に与える影響についての論文を大学時代に読み、原発には放射能以外にも地球に危害を加える要因があることを知りました。
 私は1986年4月に日立に赴任しました。大好きな勤務地でしたが、東海村の原発からわずか15q程あることが不安でした。ちょうどその年の4月26日、チェルノブイリ原発事故が起りました。その事故に刺激されて読んだ本の一つは、東海村周辺のムラサキツユクサの細胞と他地区の同細胞の異常発生率の比較についての論文で、その有意差が認められると報告されていました。
我が家では幼い子どもたちに安心できる食物を与えたいと思い、安全な食物を共同購入する団体に加入しました。
 当時読んだ他の本では、大地震が起れば引き津波によって冷却水の取り入れが困難になって冷却ができない原子炉が爆発すると警告していました。原発擁護者たちは「科学的根拠がない」「そんな大きな津波が起こる確率は問題にするに値しない」とその著者を痛烈に批判していました。しかしそれは2011年のフクシマの出来事によって現実となりました。しかもその後の調査によれば、原発は津波発生前に大地震によって既に異常を来したにもかかわらず、擁護者たちはあの事故は想定外の津波に起因するとして津波防潮堤を設けることで原発を電力供給の基幹とする政策を変えようとはしない姿勢を次第に強く打ち出してきています。
 歴史的に見れば、原子力は原爆開発の過程で発電にも利用されるようになりました。人類は核廃棄物を完全無毒化することができないまま、武力に基づく国際社会の地位とその利益を得るために、ミサイル開発と一緒に原子力開発を進めてきたと言えます。たとえ原子力を平和利用に限定するとしても、使い続ければ核廃棄物は増え続け、しかもそれを再処理すれば核の灰の放射能濃度はほぼ100倍となります。世界は原子力発電を一刻も早く停止し全てを廃炉にすべき段階にまで来ていると私は思います。後代に負の遺産をわたしてはならず、廃炉作業でさえ私たちの想像を遙かに超える経済的負担を要し、廃炉後も放射能は残るのです。
 さて、主なる神は天地を創造しこれを「良し」とされました。人類はその神に反逆し、利権と武力によって他者を支配しようとし、やがてその仕組みを作り出しました。そして、その破綻による被害者、被災者が生まれています。放射能は見えないために、その被害についても多くの場合、「科学的に因果関係が認められない」とされ、原子力は「エネルギーの乏しい我が国において必要不可欠な電力生産の方法」などという言葉がまかり通ります。その乏しいエネルギー資源とは具体的に何を指すのでしょう。日本はエネルギー資源に乏しいのではなく、権力者とその利益集団が原子力施設を維持しようとするために他のエネルギー源への転換を進めないのです。私たちには、神がお創りになって「良し」とされたこの世界をこれ以上汚染させない状態に保ち、後代に引き継いでいく使命と責任があります。原子力発電はもし無事故で動き続けたとしても、核の灰は増え続け、現在運転中の原子炉を完全に無毒化して原状復帰できる見通しもありません。そのような状況にもかかわらず、半永久的に残る核廃棄物を地下に並べるだけで「最終処分」などというのはあまりに無責任かつその場凌ぎで、このままでは核の灰が無限に増えていくことは明らかです。このような状況で原子力による電気が恒常的に生み出され、それが百歩譲って経済的であったとしても、原子力はもう使用してはならないと私は考えます。原子力発電はこの地球を豊かにすることはなく、神が与えてくださった地球そのものの豊かさを損なうものであることを再認識しなければなりません。
 紙面の都合により、上記の具体的なデータをあげずに、私の「思い」を中心に記しましたが、「この様なことを記して不安を煽るな」との声も聞こえてきそうです。
 しかし、不安を煽らないようにと言いつつ真実に目を向けず利権に従属することこそ、もっと深い不安を広げ、根本的な解決を遠ざけるのです。ことに原子力の課題は世界の武力と利権構造に関わる大きな問題を背景にしており、この問題を取りあげることに尻込みすることにもなります。事実に、真実に、目を向けたいと思います。
 「原発従事者の仕事と生活を奪うな」という声も耳にします。私はその人が、何によって自分の生涯に意味と価値を求めまた与えようとしているのかを問いたいのです。自分と他者の命を傷つける生涯を送ろうとするのでしょうか。私は地球の豊かさと命の素晴らしさを享受して生きたいのです。科学者でもなく原発の専門家でもない私は、創造者でもある神の愛と赦しのもとで自分と他者の命が互いに大切にされ意味ある命を生きられるようにと祈りつつ働き生きています。
 原発問題は、神が創造して「良し」とした世界に生きるすべての人がどう生きて、子どもや孫やその後幾代に、どのような世界に生きて欲しいのかという事に関わる大切な課題だと私は思います。
 上記の協議会に参加した私の思いを報告に代えて記しました。
 (『草苑』水戸聖ステパノ教会月報 2019年7月)
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2018年12月01日

アドヴェント 2018.12.02

アドヴェント

 「アドヴェント」について記そうと思い、『広辞苑(第6版)』を開きましたが、「アドヴェント」が載っていないのにはガッカリしました。「降臨節」も無し。「待降節」があって、「キリスト教で、降誕祭(クリスマス)前の4週間。旧約の民にならい、主キリストの誕生を祝う準備の期間。アドヴェント。」とかなりいい加減で不正確な説明が載っていました。
 英和辞典で adventを見てみれば、勿論あります。『新英和中辞典(第2版)』(研究社)で advent は、「1a)キリスト降誕、降臨節;〖カトリック』待降節クリスマス前の約4週間.b)キリストの再臨(=the second A〜).2《重要な人物・事件の》出現、到来」とあり、ad+vent(ラテン語でcome の意味)から成る言葉であると説明されていました。そして、この言葉はアドヴェンチャー adventure (冒険すること、危険にであうこ と、予期せぬ出来事、珍しい経験、賭をする、敢えて行うなどの意味)と同じ語幹であることも分かります。
 こうしたことを念頭に置いて、教会暦の「アドヴェント」について思い巡らせてみると、色々な事が頭に浮かびます。
 アドヴェントは、広辞苑にも載っているように、教会によっては「待降節」とも呼んでいます。でも、この言葉は、英和辞典で見たとおり、私たちがクリスマスを「待つ」とか「迎える」いうことには重点は置かれていないように感じられます。むしろ、アドヴェントの主体は神であって、この言葉は神ご自身が私たちのところに進んできてくださることに重点があるように思えてきます。
 私たちがその神の思いに応えるのなら、アドヴェントには「待つ」ことより、もっと私たちの方から能動的に神の到来に向かって進んでいくことを促されているということになるのではないでしょうか。
 神が救い主イエスをこの世界にお与えになることは、まさに神のアドヴェンチャー・大冒険でした。聖書に記されたイエスの誕生の箇所とその生涯を振り返ってみれば、そのすべてが神のアドヴェンチャー・大冒険であったと言えます。
天使ガブリエルが乙女マリアに神の子の母となることを告げたこと、まるで未婚の母の夫になるかのような立場に立たされるヨセフに天使が夢で「マリアを迎えなさい、神はあなたと共におられる」と告げたこと、そのような男と女を父母として神の子が生まれること、しかもその誕生の場所がベツレヘムの馬小屋だったこと、その知らせを最初に届けたのはその当時の落ちこぼれの羊飼いたちだったこと、ヘロデの嬰児大虐殺があり聖家族はエジプトに逃避行したこと、その後の生涯と受難、神が遣わした独り子の十字架の死、そして多くの人が戸惑い拒否する復活と昇天、更に聖霊の降臨。このように振り返ってみると、そのどれもが神のアドヴェンチャーの出来事であり、このような神が救い主イエスを通して私たちに迫っていることがアドヴェントなのです。
 そして、救い主イエスを通して神ご自身がなさった大冒険に向かって、私たちも進んでいくこと、私たちのそこに挑戦することが、神のアドヴェントに応える私たちのアドヴェントになるのではないでしょうか。さあ、思いを神に向けて進めるアドヴェントを過ごし、良いクリスマスを迎えましょう。
『草苑』水戸聖ステパノ教会月報 2018年12月号
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 20:56| Comment(0) | 牧師のコラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする