カテゴリー:子育てトーク

2017年05月11日

その11.豚とイノシシ

豚とイノシシ
 豚とイノシシの遺伝子は同じである。野生のイノシシを家畜にしたのが豚である。豚はどんどん品種改良されており、「豚とイノシシの遺伝子が同じなどとは言えない」と難しいことを言う人がいるかもしれないが、ここで問題にしたいのは遺伝子論ではない。
 遺伝子は同じでありながら、野生のイノシシと家畜の豚とでは、脳の大きさが違う。家畜になった豚は、多くの場合、豚舎にいて身の安全は守られ、餌も与えられている。すると、野生動物として生きていくために必要としていた神経回路のうち、幾つかのシナプスが不要となり、退化させていくことになる。外敵から身を守り、食べ物にありつくための研ぎ澄まされた感覚などは用いる機会がなくて済むため、その神経回路は鈍化していくからである。
 同じことが人間にも言えるのではないだろうか。人間は、乳幼児期に大人とたくさん視線を重ね合わせ、スキンシップの機会を与えられ、言葉をかけられる必要がある。そして乳幼児の側からも、それらを受けるだけでなく発信して、その対人関係の中で人間は成長してきた。
 現代の子育ての課題は、子育てする人に、その問題意識がないことである。人間は、人間関係の中で育つのであり、一日中テレビゲームや映像メディアに向かって過ごす子どもの親が、「大丈夫です。ウチの子どもには、一日中ゲームに集中する力がありま」、「テレビ番組を熱心に見ています」「キャラクターの名前だって直ぐに前部覚えますから知能も高いです」などとサラリと言えてしまうようなことの中に、現代の大きな問題が潜んでいる。
 冷暖房の効いた部屋の中で、画面に向かって終日座り込み、目と脳の後頭葉だけを過度に刺激させて、その日が過ぎていくことが繰り返される。そのような子どもは、食欲も基礎体力も乏しい。その結果、生活感覚から離れた一分野の言葉は獲得するが、他人と視線を合わせ、気持ちをかよわせ、相手を理解し、自分を受け入れられる経験をし、笑い合い、そこから新しい関係が発展する、等の可能性に乏しく、こうした子どもは脳の前頭葉が働かないのである。それほどに人間は、ことに幼少期には、周りの環境に順応しやすいことを覚え、豚としてではなく、イノシシとして育つような配慮が求められるのではないだろうか。
 問題の本質を理解しない人が「私は豚の方が良い」などと言いそうであるが、是非、子どもを養育する環境から電子機器をなくして欲しい。屋外で集団でたくさん体を動かして過ごす機会を与え、子どもたちの前頭葉に良い刺激をたくさん与えることが必要だという思いを強くしている今日この頃である。 
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 21:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育てトーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月08日

その10. 小さな虐待?

小さな虐待?

私は、スマートフォンや紙オムツ使用のことなどについての「便利さ」の対極にある「影」の部分について、憂慮しています。そのことは、このブログの中でも折に触れて記していますので、「また、その話か」と思われてしまいそうですが、私の中ではまだまだ言い足りないように思えています。
 先日、かつての同僚と、赤ちゃんと視線を合わせることの大切さについて語り合っていたら、その人が次のような話をしてくれました。
 日頃頻繁にスマホを操作している人の中から、乳児のいる5人の母親に母子でプレールームに入ってもらい、「これから1時間、スマホ無しで過ごしてもらいます。スマホをバッグにしまってください。そして、出来るだけお子さんの顔を見ながら過ごしてみてください。」と伝えました。
 5人のお母さんはそれぞれに戸惑いの表情を浮かべ、中には「1時間もどうやって過ごせばいいの!」という思いだったのでしょう、思わず「えーっ!」と声を上げた人もいたとか。
 相談員はそのお母さんに、「赤ちゃんの目を見てあげてください」とだけ伝え、あとはお母さんたちの質問にいつでも応じられるように、同じ部屋の中に待機していました。
 始めのうち、やや緊張感の強かったプレールームに、やがて和やかな雰囲気が生まれてきました。赤ちゃんと赤ちゃんを抱っこして視線を合わせるお母さんとの間に、温かな心の交流が生まれて来たのです。赤ちゃんを優しく揺するお母さん、赤ちゃんにたくさん言葉かけをし始めたお母さん、赤ちゃんの発する喃語に応じて笑顔で言葉を返すお母さん。
 赤ちゃんの方には、「お母さんが、確かに自分のことを受け入れてくれている」という実感がどんどん強くなっていくようです。また、お母さんのに方は「我が子が可愛い!」という思いがどんどん大きくなって来るようです。
 そして、1時間はあっという間に過ぎました。
 お母さんたちの感想は、「子どもがこれほどたくさんのサインを私に送っていたとは気付かなかった」、「子どもって、こんなに私のことを見ていたのかと再認識した」、「落ち着いて、視線だけでなく心の通い合う経験をした」などでした。
 赤ちゃんの方から、たくさんお母さんに視線を向け、心を通わせたがっているです。それなのに、お母さんがスマホに目をやって赤ちゃんの視線を拾わないとすれば、赤ちゃんの心が落ち着かなくなり、周囲の動きのあるものに視線と心を漂わせてしまうということを再認識するお母さんたちでした。
 幼児虐待には、子どもに暴力を振るうことや育児を放棄することなどがありますが、スマホばかりに目をやって子どもと視線を結び合わせようとしないことも「小さな虐待」と言えるのです。
 育児放棄の中には、育児者がスマホに夢中になって赤ちゃんと視線を合わせることを怠り心を通わせようとしなことも含まれていると考えてみてください。(2017.04.08)
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 11:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育てトーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月11日

その9-2. 抱き癖・人見知りって良いことです

その9-2. 抱き癖・人見知りって良いことです
 私たちは、生まれたばかりの赤ちゃんでも大人が思っているよりずっと多くのことを認知していることを知っておく必要があります。いや、それは赤ちゃんがまだお母さんのお腹にいるときから言えることです。
 赤ちゃんの胎動が始まったら、まだお腹の中にいるときから時々お腹を優しく撫でて言葉をかけてあげてください。赤ちゃんが、やがて「自分は大事なひとりの存在としてこの世に命を与えられたのだ、自分を超えた大きな力に支えられてしかも喜ばれてこの世に命を与えられたのだ」という実感を持てるように、生まれる前からお母さんもお父さんも赤ちゃんが安心し安定した環境の中に生まれてこられるようにしてあげてください。
 さて、生まれたばかりの赤ちゃんにも視力があります。初めのうちはかなりボンヤリしているようなのですか、少なくとも、お母さんが自分の腕に赤ちゃんを抱いた時にお母さんの顔をひとまとまりとして認識するだけの知覚はあるようです。
 神さまは人間を本当に不思議にうまく造ってくださっています。赤ちゃんにとってはこのダッコされた顔と顔の距離が人間関係の出発点と考えることが出来ます。
 お母さんが、この距離で柔らかな表情で優しい言葉を掛けてあげることによって、お腹の中では「闇」であった自分の人生が「光」に人生に変わるのです。この時、お母さんは赤ちゃんに「光の人生は良いものだ」という経験を沢山させてあげてほしいのです。
 赤ちゃんが「生きることは楽しい」という経験を沢山重ねることが出来ますように。そして初めて経験する「他者」を全面的に信頼できて、共にいることは何と心地よいことなのだろう」ということを赤ちゃんが体で知り、体にしみ込ませることが出来るように心掛けてあげましょう。
 赤ちゃんは次第に動くものを目で追うようになります。赤ちゃんにとって一番身近であり動く存在はお母さんであり、お母さんの目と口元を含んだ顔なのです。赤ちゃんが視線を向けるものはただ赤ちゃんと無関係に動くだけではありません。自分に関心を向けてくれ、しかも自分を受け入れてくれて、自分の気持ちに沿った言葉をかけてくれる「他者」が赤ちゃんの目にしっかりと入っていくのです。
 これはとても大切なことです。例えばテレビがついていれば画面の動きは一方的に赤ちゃんの目に入ってきます。でも、その動きは赤ちゃんの気持ちや状況に沿ったものではありませんし、赤ちゃんのペースでは働きかけてくるものではありません。自分の目に入ってくるものが、自分を認めてくれていて、赤ちゃんからのアクションにも反応してくれることで、赤ちゃんはまたその反応を目からも耳からも体中で心地よいこととして経験していくのです。
 これはきっと人間世界への良きオリエンテーションになることです。「まだはっきり見えないからあまり働きかけなくても良い」などと考えないで、お母さんの素敵な優しい表情を沢山赤ちゃんに見せてお母さんと赤ちゃんの良い絆をつくり始めましょう。親と子の絆は初めからあるのではなく、このようにして創り上げていくものなのです。
posted by 水戸聖ステパノ教会 at 09:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 子育てトーク | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする