「陪餐」とは、信徒が聖餐式(ミサ)の中でキリストの体と血であるパンとぶどう酒を受けることです。
礼拝の前に牧師にお申し出ください。
教派の間で相互陪餐の関係にあるかどうかが問われます。つまり、教派の間で公式に陪餐を認め合っているかどうかが問われると言うことです。
聖公会は、幾つかの他教派とそのような関係を認め合っています。
ここからはわたしの個人的見解です。その方の事情によって、例えば旅行先であるとか、ご自身の所属する教派の教会が近くにないとか、他の教派の教会で陪餐を希望する場合が出てきますね。そのような人がイエスを主と信仰告白する教会の信徒であり主イエスの養いを得ることを望んでいるのに、人が陪餐を妨げる理由はないと思うのです。
他の教会での陪餐には、最低限、自分の所属する教会での正会員、陪餐会員であることが求められます。
と、言うわけで、この教会の場合でも、他の教会の場合でも、礼拝が始まる前に牧師に礼拝の出席と陪餐の希望をご相談になってください。
2019年04月30日
終わりの日、さばきの日は本当に来るのでしょうか?
その疑問あるいは関心はどこから来ているのでしょう。その質問をするあなたの背景に何がありますか?
「でも、あなた、終わりの日は昨日もう来てしまいましたから。残念!」と言われたら、あなたはどうしますか?
わたしは、慌てず騒がず、自分の生活を(もちろん他の人々を大切にして)誠実に送ることが終わりの日に備える人のあり方だと考えています。
終わりの日とは「神さまのお考えが完全に実現する日」のことです。その日が本当に来ることを待ちながら、少しでもそのために役立とうと働くことは尊いことだと思います。神さまがあなたに与えてくださった生命を、貴いものとして、あなたらしく生きてください。そして、他の人もそのように生きられるように生きてください。
できれは、マタイによる福音書第25章をお読みになって感想をお聞かせください。
そうそう、ある神学者が「わたしは、終わりの時は本当に来るのかと尋ねられたら、もう昨日来てしまいましたよと答えることにしている」と言っていました。
「でも、あなた、終わりの日は昨日もう来てしまいましたから。残念!」と言われたら、あなたはどうしますか?
わたしは、慌てず騒がず、自分の生活を(もちろん他の人々を大切にして)誠実に送ることが終わりの日に備える人のあり方だと考えています。
終わりの日とは「神さまのお考えが完全に実現する日」のことです。その日が本当に来ることを待ちながら、少しでもそのために役立とうと働くことは尊いことだと思います。神さまがあなたに与えてくださった生命を、貴いものとして、あなたらしく生きてください。そして、他の人もそのように生きられるように生きてください。
できれは、マタイによる福音書第25章をお読みになって感想をお聞かせください。
そうそう、ある神学者が「わたしは、終わりの時は本当に来るのかと尋ねられたら、もう昨日来てしまいましたよと答えることにしている」と言っていました。
2019年04月17日
入信した後に脱会できますか?
チョット待って。あなたにとって「入信」とはどんな意味なの?
このあたりのことをホームページの文章で答えるのは難しいんですよ。むしろなぜそう尋ねたいのか、あなたの思いをもっとお聞きしたいですね。
神学的には、あなたが脱会しようと棄教しようと他宗教に転回しようと、神さまはあなたを愛しておられることには変わりありません。
また、教会には『教籍簿』があって、本人が「脱会した」と言ってもそこから抹消したり除外したりはしません。でも、残念なことだけど、教会の交わりから遠ざかって消息の分からなくなってしまった方もかなりいることも事実です。
わたしたちは、教会生活から離れてしまった人が地獄に堕ちるとか、たたられるとか裁かれるとかは考えていません。神とは言い換えればその人を根底から生かす力であり、わたしたちは、その人が神との交わりを回復するように願い祈っています。
このあたりのことをホームページの文章で答えるのは難しいんですよ。むしろなぜそう尋ねたいのか、あなたの思いをもっとお聞きしたいですね。
神学的には、あなたが脱会しようと棄教しようと他宗教に転回しようと、神さまはあなたを愛しておられることには変わりありません。
また、教会には『教籍簿』があって、本人が「脱会した」と言ってもそこから抹消したり除外したりはしません。でも、残念なことだけど、教会の交わりから遠ざかって消息の分からなくなってしまった方もかなりいることも事実です。
わたしたちは、教会生活から離れてしまった人が地獄に堕ちるとか、たたられるとか裁かれるとかは考えていません。神とは言い換えればその人を根底から生かす力であり、わたしたちは、その人が神との交わりを回復するように願い祈っています。

